目標と達成の積み重ね。

遷延性意識障害の母と過ごした7年を振り返り、今だから綴れるお話です😊

回顧284【応援】

2017年2月末😊
面会に行くと、母のベッドが移動していた。人工呼吸器と心電図モニターが定位置になり、今後に備えての動線確保のようだ💡
医師、看護師、理学療法士、栄養士…沢山のスタッフが、やりやすく改善してくれるのは喜ばしい
😌
そして、昼食には、約3ヶ月ぶりに半固形の経管栄養注入をさせてもらった😂
特に、人工呼吸器を装着してからは初めてなので、担当看護師が見守ってくれて緊張もほぐれた。😊母も穏やかなまま注入が済み、ホッとする😌
翌日からは任せてもらうことになった。
もし、人工呼吸器のアラームが鳴ればすぐ、来てもらえるし、話しかけながら昼食を過ごせるのはとても楽しく有難い✨
スキンケアや全身のマッサージをして、📖や📰を読み、自宅に居るようなのんびりした雰囲気も味わうことが出来る🍀

主治医のT先生と褥瘡ケア専門の看護師さんが来られ、私を含め3人で母のかかとのキズを観察👀🔍そして、「壊死の部分を除去しながら血行促進剤を塗布していきます。時間はかかるけど、自然治癒を期待して治癒しましょう。」と説明された😊
リハビリの先生も、「焦らず体力維持を目標にして離床まで諦めずに頑張りましょう💪」と声をかけてくれる😂

私が行う胃ろう注入も、母の自然治癒力も体力回復も、信じてもらってるんだなあと、嬉しさが滲む😂
信じてもらうって、『応援』してもらってるのと似てるなあ😌

回顧283【人間味】

転院2日後、日曜日😄
母は安定🙆のんびりと母のベッドサイドで📖を読んでいると、T先生が来られた😊
母に声をかけた先生は、左足の靴下を脱がせ、かかとの傷を私にも一緒に見るよう促された。「褥瘡は左下肢閉塞性動脈硬化症によるもので、治癒困難と考えてます。壊死を止めるためにも、造影検査で血管閉塞の場所を特定したいのですが、検査に承諾頂けますか?」と言われ、即、承諾した。そして、「人工呼吸器の管理では自発呼吸も認められます✨今後も観察していきます😊」と、丁寧に説明され「どうぞよろしくお願いします😌」と深々と頭を下げた。母も安心して聞いていたのだろう、始終穏やかだった😄

数日後、「異常なく、検査が出来ました。血流改善で動脈硬化を軽減するよう、お薬を足してみます。」と治療方針の説明があった。

そして、以前から医療行為の指導をしてくれている看護師さんが「経管栄養注入はまた、したいですよね⁉️😁許可もらいますね🙆」と言って下さった😂
人工呼吸器を装着してからは、もう、胃ろう注入には関われないと思い込んでいた私は、その配慮に大きく感激😢✨

看護師さんとT先生との信頼関係も見えて、本当に心強い✨

回顧282【達成】

転院当日。
朝まで荒天だったが徐々に晴れ間も広がった⛅
天候不良で中止にならなくてよかった…
今日の母の体調はどうだろうか…
無事、地元まで帰って来れるだろうか…
と考えながら、J病院までの運転だった。
今度、この道を通るのはいつになるのか…

母はピンクの服を着せてもらって体調安定だった😊病室で荷物をまとめ、お世話になった看護師さんに挨拶をし、救急車🚑を待つ。

かすかにサイレン🚨が聞こえ、暫くすると隊員の方々が来られた。家族は同乗出来ないと師長から言われていたので、救急車🚑より先に転院先のK病院へ向かうことにした。
母に「先に行くね。待ってるから、しっかりね😃」と声をかける。
もしかしたら、最後の声かけになるかもしれないという思いより、大丈夫‼という自信が大きかった😌

約一時間後、地元のK病院駐車場🅿️に、救急車🚑が入ってきた。
救急入口に駆け寄ると、顔馴染みの看護師さんが母を迎え入れ「よく頑張ったね🍀」と声をかけてくれた。T先生もすぐ来られ、目礼😌引き継ぎのあと、アンビューバッグを手に母と検査室へ入られた🚪

一連の動きが映画のようで、私は、少し離れたところから見守るだけだった😌

見慣れた病棟に向かうと看護師さんやリハビリの先生が「しっかり治しましょうね😄」「また、一緒に頑張ろうね💪」と気軽に声をかけてくれた😊
母がベッドに落ち着くと、栄養士さんが来て「以前のように1日3食になります。半固形の経管栄養剤でいいですよね?」と言われた😂

早い✨指示も処置も迅速✨

T先生が検査結果を知らせてくれた。「安定されてます。呼吸状態も観察していきます。褥瘡については担当と話し合って最適な治療を選択していきます😊」としっかり説明して下さった😌

この、信頼感を味わえて嬉しかった✨
本当に帰ってきたんだ、と実感した😌
母がスヤスヤと休んでいて、モニターの数値も安定😊🍀

キツい2ヶ月があったからこその達成感✨
…諦めなくてよかった😌😌

回顧281

総師長に言われた言葉に深く傷付き、一刻も早く、J病院から離れたい気分だった😩

最初は、ここが最適と信じきって入院を決めた病院。母もそれを信じてくれたことだろう😌師長との意見の食い違いがあっても、過ごした場所への感謝は消えない😌

気持ちの切り替えスイッチを押してほしくて、週明けに、K病院のソーシャルワーカーを尋ねた😄

一部始終を話すと、ソーシャルワーカーさんも驚いていた。病院間のやりとりがあったはずだが、驚いていた。
「何を言われても、安心して戻ってきていい。可能な限り付き添って、ぶれずにやってきたことを知ってる。今回の転院も、手順通りに準備してきたのたから主治医のT先生に任せていい。」と力強く言ってもらった😊

転院までの残り四日間、スキンケアとマッサージと朗読と、現状維持に努めた😃

2ヶ月間、担当してくれた看護師さんは「転院の時はこのかわいいピンクの服にしましょうか⁉️😄」と言ってくれた😂
そんな、些細なことに、とても救われる🍀

回顧280

その週末、金曜日は積雪❄️
母の面会に行けるよう雪解けを待つ。
午後、晴れ間が見えてきた⛅
いつもより時間をかけて会いにいく。
「やっと着いたよ😃」と、母に声をかけ荷物を置こうとしたら、談話室に呼ばれた。

総師長が席に着いていて、話が始まった。
「一時間も車に揺られる体力もない母親を転院させるなんて、信じられない」「担当医も看護師もこんなに頑張ってケアをしてるのに何が不満なんだ?」「残り少ない時間を地元でという考えは間違い!勝手に寿命を切ってるじゃないか?ここに居れば先は長いのに」という内容だった。

救急車での転院を強く咎められている気がして辛かった。窓の外の激しく降る雪を黙って見つめ、ただ、時間が過ぎるのを待った。
担当医が転院希望を納得していないこともわかった。
褥瘡の治療が済めば戻ってくるはずなのに、この面談で不信感が強くなってしまった。
何のための面談…?
転院を辞退すべきだったのか?

キツい…。とてもとてもしんどい週末…。

回顧279

片道約一時間かけての面会も貴重な経験に思えてきた😄

K病院から受け入れ🆗の返事があった翌週、J病院での面談が設けられた。
そういえば、担当医と会えていない。てっきり、担当医からの説明を聞くのだろうと思い、兄と二人で面談室へ入る。
そこには、ソーシャルワーカーと、病棟看護師長と、初めて会う、看護総師長の男性が着席していた。
その、総師長から言われたのが「本当に転院していいのか?」「ベストなケアをしている自信がある。今後に期待してほしい」「この病院から転院したら、他に受け入れるところはない。それでもいいのか?」という内容の話が繰り返された🔃
……なんだ?この話は…転院は決まったのに、どう返事すればいい?
今後に期待してと言われても、現に褥瘡は進行している。栄養改善もなされず、離床計画もないと病棟師長が言ったのに、何故、こんな事を言うのだろう?しかも、担当医は不在。長期療養型病院として高い評価を得ていて、転院は汚点になるのだろうか?…

最終的には兄と二人で「地元での治療が希望です。転院します。」と断言した。

精神的にグッタリ😩💦💦💦
気を取り直し、母のスキンケアや、手足をほぐしていたらソーシャルワーカーから声をかけられた。「1週間後に転院です。人工呼吸器装着なので救急車🚑で移動です。」って。
あ〰️よかった‼️面談は無駄じゃなかった😊

回顧278【次の目標】

K病院での面談が済み、明るい気持ちで母のもとへ急ぐ🚙💨
J病院のソーシャルワーカーに面談の感触を尋ねられた。
率直に気持ちを話せたこと、そして面談を設けてもらえたことにお礼を述べた。
そして、『家族が住む地元での褥瘡治療を望みます。』と伝えた😌
久しぶりに母にも清々しく報告出来て、忘れられない1日になった😊
先行きはどうなるか、現状は変えられるのかは全く予想出来ない。
でも、行動したことは正解と思う😌

そして、その翌日。
「K病院から褥瘡治療のための受け入れ🆗の返事がありました。転院に向けて調整してよろしいですか?」とソーシャルワーカーからの連絡に、驚いた👀‼
もちろん、即、快諾だが、こんなに早く、望んでいた返事をもらえるとは思ってもなく、ただ、ただ皆さんに感謝した😂😂

転院が決定したとはいえ、かかとの褥瘡はヤバイ方へ進んでいる。少しでも軽減するよう除圧に励もう💪

家族もとても喜んだ😂安心して治療出来る環境は、母自身にも家族にも精神的な栄養剤をもらったようだ😊

『無事に地元に帰る』という新しい目標が出来た✨「お母さん、たくさん応援もらえて嬉しいね😃頑張ろうね😊」と声をかける😌
目標達成のために、しっかり眠ろう🛌