目標と達成の積み重ね。

遷延性意識障害の母と過ごした7年を振り返り、今だから綴れるお話です😊

回顧291

2017年のGW🎏
心不全の点滴治療があって、病室でゆっくり、まったりとした時間を過ごした😌
その間、主治医のT先生もこまめに顔を出され、スキンケア、マッサージ、経管栄養注入、痰吸引など、その日に出来ることを応援してくれる😃ある日の担当看護師さんは、オムツ交換にも参加させて下さった😊
そして、母の日には、朱色の和服をかけてあげた👘よく似合う✨先生も誉めてくれて、母の表情も明るくなった😆

点滴治療後はしばらく、安静期間が続いた。
その5月下旬、違和感に襲われた。

まぶたに触れるとピクピクする反応はしっかりある。しかし、左手がすごく熱く、右手はとても冷たい。いつものマッサージのように腕を伸ばすと小刻みに震えがある。
心電図モニターの数値は安定範囲内だけど、なんとなく、いつもと違う。

翌日の日曜日、早めに面会に行くと抗生剤の点滴が開始されていた。バイタルも乱れている。口元も今までにない動きがある。
手は熱く足は冷たい温度差が、不安を大きくする。既に治療が始まっているのだから、きっと治るよ、と、母の手を握り、励ますのがその日に出来ることだった😌

明日の月曜には、T先生に詳しく聞けるはず😌看護師さんも丁寧に看て下さっていた。みんなを信じ、頼りきっている私は「また明日ね😊」と声をかけて出勤だ🚗💨

回顧290

喋れない。
目も開かない。
四肢の動きもない母。
それでも、入浴した日や洗髪後は、爽やかな表情だ😊担当看護師の心遣いがよく伝わってくる😌本当にありがたい😌
かかとの傷の処置が始まる時も、主治医のT先生が私を招き入れてくれた。黒く壊死した部分を医療用ハサミでチョキチョキと除去。クリーム色の皮膚内部があらわになった。
外用薬を塗布して、ガーゼ保護。数日間隔でこの処置があるおかげで、どんどん進行した褥瘡が、治癒に向かっていると実感する😊
胃ろうの注入と喀痰吸引の練習は継続したまま、約2週間の安静で、母の体調は回復✨

離床許可が出るとすぐ、リハビリの先生が来て下さった😃廊下の突き当たりまで移動すると、少し離れた神社⛩️に咲いている桜🌸が見えた✨所定のリハビリが済むと、「バイタルも安定してるので、暫く親子でお花見してくださいね😃」という配慮😂
約1時間のお花見🌸母とふたりで、いーっぱい、思い出話をした😊
それからは、肺リハビリの成果もあって、階下のリハビリ室までの移動も出来るようになった✨少しずつでも日常の感覚が戻ってきて、気持ちに余裕が出来た😊
GWを迎え、自分の時間も過ごせる😆
リハビリがお休みの日は母と過ごし、丁寧に身体をほぐすのが楽しみ😄

年末年始には、こんなGWは想像も出来なかったなあ😂🍀

回顧289

ウィーニング開始から一週間経過。
いよいよ、24時間離脱に挑戦だ💪
心の中で、一瞬一瞬、母を励ます毎日😂
離床、ドライシャンプー、マッサージ、読み聞かせ…。その日に出来ることを続ける😊
窓辺で日光浴♿をするのが一番の楽しみ✨
爪もよく伸びるようになった😊
職員さんも気軽に話しかけて下さるので母👂にいい刺激がある😊

一週間離脱が成功し、人工呼吸器は病室から出された🙋

しかし、少しずつ母の全体がふっくらとなってきて、3月末には心拍数が増えた。
体重増加⁉水分過多⁉️代謝不良⁉️と考え始めたころ、T先生から「褥瘡治療のための栄養が逆に心臓に負担をかけているかもしれない。内服薬で様子をみます。」と説明があった。同時に胸のレントゲン撮影もあり、委ねていればいいんだ、反省😳

4月初旬にはバイタルも安定してきた✨
暫くは安静状態だったが、痰の吸引と胃ろう注入はさせてもらえて、私の技量は下がらなくてホッとした😌

リハビリの先生が部屋を覗いて、「落ち着いてからまた、離床しましょうね😃」と母に言ってくれるのが、とても心強かった😌

回顧288【実現】

翌日、母の姿を見て、絶句……✨
なんと‼️人工呼吸器から離れ、人工鼻の酸素投与に変わっている✨😂😂
心電図モニターの心拍数は少し高いがspo2は平常💡驚いて、あんぐりとしていたら、担当看護師が来て「すぐ、わかりましたか⤴⤴😉ビックリしたでしょう😉今朝、主治医のT先生が人工呼吸器を外されました。久しぶりの肺運動のせいか少し脈が速いですが、自発呼吸でもspo2は下がっていません。これからも観察続けます😊」と説明してくれた。母の頑張りと、先生の判断、スタッフの応援があっての挑戦だと思う😌
先ず初日に成功したんだ😂😂
現実に、離脱出来たんだ😂😂
感謝の表現は拝むしかない
🙏
看護師の補助を頼りに、吸引の練習も再開した💡焦らず、きちんとやっていこう。

翌日も母は人工鼻の酸素投与だった😊
髪がサラサラつやつや✨「洗髪してもらって、よかったねえ😄気分爽快ね🍀」と話しかけているとT先生が来られた。
私は、今の感激を精一杯伝えた😂
そして先生は「夜間は念のため人工呼吸器を装着しています。なるべく昼間は外して車イス♿に乗りましょう😃最初はリハビリスタッフがやっていきます。慣れたら以前のように離床に進みましょう👍明日から自分が出張なのでその間は安全のため人工呼吸器で過ごしてもらいます😌」とにこやかに話して下さった😊涙をこらえて、大きく頷いた😂

その午後、早速リハビリスタッフと看護師数人で、母を車イス♿に移乗してもらった😂😂酸素ボンベも準備されていて、廊下の窓辺へ移動♿約100日ぶりの車イス♿✨

20分程の離床♿😌😌実現した…🍀
今夜もお赤飯🍚🙌🙌

回顧287【チャンス】

3月中旬🌷
母に📰の読み聞かせをしていると、担当看護師さんが嬉しそうにやって来た😃
「痰の吸引の許可が出ました✨師長も賛同です。看護師が見守って、鼻と口の吸引🆗なので一緒にやっていきましょう💪」と言われた😂
きっと、看護師さんの手間を増やしてしまう。それでも快く「やっていきましょう💪」と言ってもらえる😢

母のスキンケアをしていると、主治医のT先生が、にこやかに声をかけてくれた😃
「ご相談です。昼間だけ、人工呼吸器を外してみようと思います。自発呼吸もあるし、暫く続けてみて、いずれは車イス♿にも乗ってもらうつもりです😊承諾頂けますか?」だった。即、快諾😂😂
3か月の間、人工呼吸器がないと生きられないと思っていた。それが…とうとう、『ウィーニング』が始まる…😂😂
離脱が成功するかはわからない🤷
でも、ウィーニングの評価がなされたことが率直に嬉しい😃✨

久しぶりに会った師長さんが、吸引と離脱の評価について詳しく話してくれた😌
「吸引は、以前から(家族が)医療行為に積極的だったので、出来る限りのサポートを指示しました😊人工呼吸器離脱は、現在の酸素供給が空気中の値とさほど変わらないから、チャンスが大きいと評価しています💡挑戦しましょう👍」と…。

地元に戻ってきただけでなく、こんなに、可能性と希望を与えてもらって、どう恩返しすればいいのだろう😂😂
そして、みなさんが、母にも聞こえるように話して下さるのが更に、幸運🍀

回顧286

数日後、いつも通り、面会に向かう廊下でソーシャルワーカーさんに会った😃
対応についてのお礼と、病棟の皆さんから、よくしてもらってると話す😌
「精神的な安定が治療にも大事です。色々ありましたが、結果的によかったですね😄みんなで応援してます📣」と言葉をかけてもらい感激だった😂

病室では、褥瘡ケア担当の看護師さんが処置中だった。
黒ずんだ皮膚を除去し、血行促進剤を塗布。母の左足に緊張感が見える。痛みを感じているようだ😓「感覚があるのはいいこと。少しずつでも皮膚の再生が期待できます✨」と言われ、また感激😂😂

その午後にはリハビリの先生が来られた😃
傍で見ていると、電動ベッドの背面がじわじわと上がり、母がどっしりと座って外を眺めているような姿勢になった。
もう、天井しか見れないとばかり思っていた私は、驚いてポカーンとなった😮
先生は「こうやって起こすリハビリも始めました。酸素飽和度も下がらず、呼吸数と心拍も安定です。肺機能向上と自発呼吸を目指してます。お母さんは強い方ですね😄」と説明を聞き、またまた感激😂😂😂

在宅医療とは違う、素晴らしい時間を与えてもらったんだと実感😌
娘と兄に話すと、とても喜んでいた🍀

回顧285

2017年3月🎎
朝、病院からの電話📱が鳴り、少し緊張した。
主治医から「血液検査で貧血の数値が出ました。輸血を考えています。」という内容で、家族の同意を得てから準備に入るそう。
バタバタと支度を済ませ、母の病室へ行く。T先生が来られ「動脈硬化改善薬の影響で体内のどこかで、じわっと出血しているようです。一時的処置として赤血球の成分輸血です。数値が戻れば終了します。」と説明があり、即、同意した🖋️

滴下する赤血球を祈る気持ちで見つめる👀
副作用もなく、これまで通りスキンケアやマッサージでのんびり過ごす😃

桃の節句🎎には、ベッドに居る母に、メイク💄💋✨をし、紺地に桜柄の和服をかけてあげた👘
母は動けない、喋れない、目も開かない。
それでも私達に元気を与えてくれる😉
その日その日に出来ることを楽しむのが今の目標✨
スタッフさんが和服👘姿の母に声をかけてくれて賑やかな病室😄
母はちゃんと聞こえている😌👂
嬉しそうな表情だ😃
成分輸血も無事終了。よかった😌