目標と達成の積み重ね。

遷延性意識障害の母と過ごした7年を振り返り、今だから綴れるお話です😊

回顧277【意外な展開】

翌日、母の病室へ入るとすぐ、ソーシャルワーカーから声をかけられた。
「近日中にK病院へ面談に行って下さい。」……驚いた。
放り出されるのか、自分で転院先を交渉してということか…⁉️頭の中でいろんなことが浮かんだ。
「どういうことですか?」と問うと、K病院のソーシャルワーカーとやりとりをして、主治医だったT先生が、直接、私の話を聞くと仰って下さったそうだ。
こんな形でT先生に再会するのは本意ではない。しかし、現実を知ってもらえれば元気になれる💪素直に従い、兄に日程調整を頼むと、「早い方がいい。明日にしよう。」と回答をくれて、K病院も承諾。
その夜、J病院へ転院した約2ヶ月間を時系列に書き起こした🖋️その作業でも、後悔や落胆が思い出され、涙が溢れる😢

2017年2月1日。
兄と共に通い慣れたK病院に入り、受付💁でソーシャルワーカーさんを呼んでもらう。挨拶をしていると、程無くT先生が来られた。感無量の私と兄は、黙って目を合わせる🎯

現時点の褥瘡や呼吸状態を伝えると、先生は頷きながらじっくり聞いて下さる😌書き起こした時系列を見ながらひとつずつ質問をされ、意見も述べてくれる。母の状態を実によく覚えて下さっていて、感激だった😂
私の疑問にも共感と肯定を示され、何故ウィーニングを始めないのか、離床をしていないのか、先生も腑に落ちない様子だ。
スマホで撮ってきた、かかとの褥瘡の写真を見た時は「っえっっ😱⁉」と、驚きの声が聞こえた。「もう、この黒い部分は壊死してます…。」と説明して下さる。それさえ、理解してもらえて、ただ、ただ有難い😌
「もし、こちらで褥瘡治療が完了したらJ病院へ戻る意思はありますか?」とT先生から問われ「あります。在宅医療を希望しても叶わなかったのが現実です。J病院の介護ケアは十分満足出来るので、褥瘡が治って感染症や壊死の可能性がなくなれば戻ります。」と告げた。
約一時間の面談を終え、面談を設けて下さったことに感謝を述べると、T先生は「何かの力になれるよう検討します。」と言って下さった😌
この先生に、ここまで関わってもらえた嬉しさで、涙をこらえきれず母に報告する時は目が真っ赤になってしまった😂🍀

回顧276【決心】

2017年1月下旬❄️
このひと月の変化は大きい。
日頃、なかなか面会に来れない兄と娘にも、褥瘡を知らせていたが、実際見た時には相当ショックを受けていた。ガーゼをそーっとめくって、そこに現れたキズは500円硬貨程に大きくなっていて、一部は真っ黒😱😱私自身も数日見なかった間にここまで悪化するのかと驚いた😱❕母には聞かせたくない言葉が脳裏に浮かんでしまう…。
家族そろっての面会は久しぶりだ😌気持ちを切り替えて和気あいあいと過ごす😄それが少しでも治癒力アップに繋がればいい😌

その翌日、ソーシャルワーカーさんに時間を作ってもらい、「円満に転院したい」と申し出た。面談には応じてくれたが、可能性がゼロに近いのだろう、ソーシャルワーカーさんの表情が硬い。
「この3週間、治癒を期待したが、キズは深く大きくなっているのが事実」「人工呼吸器の離脱に積極的ではない」「長い目で見ても外出どころか、離床も計画していないように言われた」「褥瘡からの感染症、及び壊死を予想して、その治療が不可能なら在宅医療を望む」と告げた。ソーシャルワーカーさんは、短く「担当医につなげます」とだけ答えた。
今後、どうなるのだろう…。
でも、現状の入院が何のための、誰のための入院かわからなくなったのだから、とにかく動いてみよう‼️後悔ないように😌

この1分1秒でも母のかかとの褥瘡は広がっている。

回顧275

かかとの褥瘡発見から10日経過。患部は保護フィルムが貼られ、除圧治療が続いている。発見時は1円硬貨程度の水ぶくれだったのが10円硬貨ほどに広がり、しかも黒ずんできた。処置はお任せするしかない。自分に出来ることをするだけだ。

しかし…その翌日にはフィルムからガーゼ固定に変わっていて、観察も出来なくなってしまった😱😓
…私があまりに悄気ているので、介護仲間の友達が一緒に面会に来てくれた☺母のベッドの両側に腰掛けて沢山お喋りをする😄
母は喋れないけど、母にも話しかけてくれる😌褥瘡の知識も多いその友達も、ガーゼが貼られた患部をとても気にしている。お互いに理解しあえる関係をしみじみ感じた😂

翌日、約1ヶ月ぶりの入浴🛀
人工呼吸器を装着したまま入浴可能なんだ‼そこまでに回復したんだと解釈し、師長さんに春の外出についての意向を尋ねた。
ウィーニングがなされる気配もなく、「無理せず、このまま(寝たきり)がお母様も楽ですよ。」と言われ、まばたきが激しくなった。
……あれ⁉こんなはずでは……。

回顧274

かかとの褥瘡を知らされてから、とにかく経過が気になる。布団をめくってみても「このクッションの当て方は除圧してあるとは言えないなあ」と落胆することが続いた。
それを踏まえ、ソーシャルワーカーに訴えた。患者家族として、感情は抑えたつもりだが、若い女性のソーシャルワーカーの困惑の視線を浴びて心が痛かった。
病棟のベテラン看護師長は「今まで担当した患者さんに褥瘡を作ったことはない。まだ初期だから除圧で治癒するレベル。」と言う。なんだか…矛盾を感じるが、それを鵜呑みにすると、この、母の褥瘡は母自身からの意味あるサインなのかと解釈したくなる。

血流をよくすれば改善するのではと、五年半続けてきたように、ゆっくりマッサージをしよう😌母の回復力を信じよう😌

人工呼吸器を装着してから入浴なく、清拭と髪はタオルドライしかない😢同室の患者さんの入浴、更衣の時は談話室で待つのが決まりだが、そこの書棚に『人工呼吸器の管理』の本が数冊あるのを見つけた。医療従事者向けのその本は専門用語が多く理解するには程遠い。
しかし、その中に『ウィーニング』という項目があり、読み進めると、転院前にALSの患者さんから聞いた『離脱』のこととわかった✨かかとばかりに神経を尖らせていたが、この『ウィーニング』についても、是非説明を聞きたいと思った☺️
先ず、状況把握しなくては。

回顧273

2017年1月中旬。午前10時。
母を訪れると経管栄養が再開していた👀
約2週間ぶりの胃活動😌ゆっくり、ゆっくり流動食が落ちている。「どうか無事に栄養が行き渡りまさように」と祈り、母の手を握る。見守るしかない、と診断されたがここまで回復してくれたことに感動✨
翌日も順調に滴下している。まだ一食だがその一食を五時間程かけているそう。
午後にはベッドまで日差しが届き、左腕だけ光合成が出来た🌅
ほっそり、カサカサの手足にも保湿クリームを塗り、顔も化粧水で整える😊
少しずつでも元のリズムに近付けて離床の可能性を増やしていこう😌
次の日は滴下も早くなっていた☺️手足も温かく顔色もいい✨胃活動のおかげか、好転して本当に嬉しい✨
今日、出来ることをやり終え、出勤に間に合うように帰ろうと準備をしていたら担当看護師から声をかけられた。
「見てください」と足元の布団をめくり、母の左足を持ち上げようとした瞬間、イヤな予感がした…。そして、的中。
「注意はしていたのですが褥瘡になっています。すみません、しっかり治していきます。」と頭を下げられた。
赤くなっていたかかとの一部が、内側に水ぶくれのようになっている。
しばらく、放心状態…。低栄養の心配も提言したのに…。これまで床ずれだけは負わせないように頑張ってきたのに…。母に申し訳ない…。
その、看護師を責めても治るわけではない。しっかり治してもらえると信じなくては…。

回顧272

転院して1ヶ月。
見学時に得た感触とは違うことが続き、追い詰められたような不安が消えない。このままでは自分が挫けてしまう……。話を聞いてもらいたくて、迷惑を承知で、元かかりつけのK病院のソーシャルワーカーを訪ねた😌
ロビーの一角に座り「新しい病院で楽しくやってますか?」と柔らかく声をかけてもらったが、話す内に堪えきれず泣いてしまった。
低栄養状態、人工呼吸器装着、心不全の治療がなされないこと……。

ここで話したからと現状が変わるわけではない。でも聞いてもらったことで気持ちが落ち着き、母には平常心で面会できそうだとお礼を述べると「T先生に会いませんか?」と言われた。思いがけない配慮がとても嬉しいが、「先生には、元気でやってる姿を見せるのが目標なので今日は会いません。」と告げると、頷いて「そう言うと思いました。」と言われた😊ずーっと相談に乗ってくれていたソーシャルワーカーさんは、さすがだ✨

気を取り直し、母のもとへ🚙💨
少し冷静になった私は母の全身をよく観察した。手足が細く、かさついている。頬も薄くなった。それでも、スキンケアをしているとまぶたが動き、口元もモゴモゴしていて「頑張るぞ💪」と言ってるようだ😊

十日間、補液の点滴が続いていた右手から、左足に変わっているのに気付いた。その左足はむくんでいるようだけど…?これでいいのか?かかと辺りに、微妙な赤みもあってクッションの当て方を変えてみたりした。
点滴が入っているからあまり動かせない。
この赤みは、気になる…。祈るしかないのか…な…?
また新たな不安が生まれてしまった😓

回顧271

2017年。
静かに新年を迎え、母に「明けましておめでとう」を言ったのは病院のベッド。

年末年始の在宅介護を節目として、目標としてきたが6年目は叶わなかった。
それでも、母の生きる力は伝わってくる。

人工呼吸器の規則的な音が響く病室で、新聞と小説を読み聞かせる。正面のベッドの患者さんが見ているであろうテレビから、お正月らしい音声が聞こえる。入院と同時に申込んだ、個人用のテレビはなぜか、未設置。

抗生剤の点滴が始まって以来、一週間の絶食。消化器機能も低下するだろう、低栄養の改善もなく、低体温を起こし顔が白っぽくなった母。居たたまれない気持ちで過ごし、やっと担当医から説明を聞ける時がきた。そこで…「年末から肺炎と心不全が続いている状態。見守るしかない。」と聞かされ、頭が真っ白!見守るしかない…?治療は…?
数秒の沈黙のあと、やっと出た言葉は「家で看護したい」だった。強い言葉でたしなめられた。わかっていたが、その言葉を出すことが母にしてやれる精一杯のことだった。
孤独感が広がる、つらくて苦しい日々。