目標と達成の積み重ね。

遷延性意識障害の母と過ごした7年を振り返り、今だから綴れるお話です😊

回顧56【映画鑑賞】

2012年、GW🎏
他県で暮らしている甥が母に会いに来てくれた☺️「正月よりずいぶん元気になったね😃」と話しかけている✨しっかり手を握りあい、手で会話しているようだ🤝

甥は足が弱ってきた母にさりげなく手を貸す優しさがあった✨社会人になっても、その優しさは変わらなくて嬉しい😊

2日後は隣県に住む兄が介護の手伝いに来る。来てすぐ介護実践出来ると期待はしないが、母も喜ぶので顔を見せるだけでも🆗とゆーことにしとこう😁

電車で帰省した兄を駅まで迎えに行く🚙
母も一緒に来ていることにビックリしていた👀‼
こんなことが出来るのかと、想像もしてなかったらしい。
そして、明日は『映画鑑賞』を告げるとまたビックリしていた😃
わが母の記』という映画を、前々から、どうか実現するようにと計画していた私😌

翌日には兄と娘と母と私の四人で片道90分の映画館へ🚙💨
駐車場の片隅で早めの腹ごしらえ🍙
さすがに胃ろうを公衆の面前では出来なかった😅恥ずかしいじゃなく、周りが解釈に困るかなと思った😊
上映時間には♿席に着き、静かに鑑賞🎦
暗い館内と大きな音に母の反応が気になったが手をつないでいたら穏やかだった😊

映画に感動したのと映画鑑賞が実現した嬉しさで真っ赤な瞼の私にみんな爆笑😅
帰宅すると、兄がお姫さま抱っこで母をベッドに移してくれた。

母も楽チンだったし、兄も嬉しそうだ😃

賑やかな食事中も胃ろう注入しながら、映画の感想を述べているような、母の視線👵

次は何の映画見ようかと、話が広がった夜🌃

回顧55【目に入れても痛くない】

翌日は雨も上がった🌤️
オムツ交換は、ベッドサイドに構えて母の身体を私の方に向け、左手で上半身を支え右手で洗浄後に清拭。ズボンを穿かせると同時にシーツのしわを伸ばし、母の背に腕を差し込み、全体的に軽くほぐして枕を整える😃楽しい😊

介護ベッドの足元を少し上げてから背面を起こして体制保持、「さあ、朝ごはんよ➰🌅」と声かけて経管栄養注入😊その滴下を時々確認しながら私も朝食と洗濯物を干したりと日常をこなしていく。楽しい😆

私は所用があり、午後は娘に留守番を頼んだ😃
快諾してくれてありがたい✨そして、「ばあちゃんとドライブしたい🚙」と言った👀
とても嬉しい😌私よりも母が嬉しいはずだ✨

遷延性意識障害で全介助の祖母をひとりで連れ出すということは、大きな責任を伴うとわかっていて、言い出したんだ😌

主治医のT先生が言われた「準備が出来るならどんどん思い出を作って」を実践してるんだと感心した✨
母のためにも娘のためにもかけがえのないドライブになるよう、準備をした💪

夕方、どんな報告を聞けるか楽しみに帰宅すると、娘は夕食作りの最中だった☺️
そして、三人で登った山の展望台とそこから見下ろす海水浴場へ回り、潮風に当たりながら散歩してきた、と海を独占したような二人の写真を見せてくれた😊

母にとっては、目に入れても痛くない孫。
その孫は「目に入れても痛くないばあちゃん」と言ってくれた愉快な1日😄✌

回顧54【商業施設】

2012年4月下旬、庭のスロープ完成✨
二泊三日の在宅介護のため、母を迎えに行く。雨だったが玄関先まで乗り付けられるのでとてもスムーズに出入り出来るようになった🙆

娘が帰宅して、日常ケアにはすっかり慣れている私達は思い立ち、片道40分の商業施設へ出掛けた🚙
母が動けなくなってから、公共の場とゆーか、病気とは縁遠い場所に出向くのは初めてで、勇気も必要だった。

リクライニング♿が商品や他のお客さんに接触しないように配慮したり、移動するのにエレベーターを探したり、行ってみて気付くことが多かった💡それでも、娘が「更衣しやすい素材かな?」「胃ろうカテーテルに支障ないかな?」と迷い、母に似合う春服を当ててみたりと、今までに味わったことのない楽しさがあった✨

覚悟していた他人の視線は、あまりの嬉しさに全く気にならなかった😄

自宅に帰り、ベッドへの移乗、オムツ交換、胃ろう注入😊母の傍ら、旬のものを揃え一緒に食事🍴😋🍚

些細な日常。これが目標だった😌
実現した✨

母もバイタル異常なく、1日中、表情穏やかだった😊私達がたくさん笑い、喜んでいることが、母も嬉しかったんだな☺️

口に出すのが勿体ないくらい、幸せな1日👚

回顧53【住宅改修費用補助】

玄関までのスロープ工事が始まった✨
介護保険を利用するため、申請書類に時間がかかったが、やっと実現する✨
歩くには問題ない地面も、♿には危険と査定された。ケアマネさんやソーシャルワーカーさんの口添えもあったおかげだ😊
朝から古いコンクリートが機械ではがされ、どんな仕上がりか気になりながら、その日は口腔リハビリ再開のため、出掛けた🚙💨🏠

5ヵ月ぶりの言語聴覚士の先生が「唾液の量も舌の動きや反射も、嚥下もよく維持出来てます🙆素晴らしいです😃」と言って下さった。
教わったことを続けてよかった、とほっとして涙が溢れた😢
植物状態の人への働きかけや刺激は意味があるのか?』と施設のスタッフから言われたこともあり、平常心を装いながらも、やはり悔しくて辛かった😭
それを私がこぼすと、STの先生は「意味を考える前に行動する、それが家族力です✨」と言って下さった。この先生に出会えてよかった。

午後、自宅に帰ってみると、コンクリートを均しているところだった。「スケート出来るくらい滑らかにツルツル仕上がりますよ☺️」と作業員さんが言う。嬉しい。嬉しいが「それは♿のブレーキが効きにくいことにもなるし、雨だと余計に滑ってしまいそうなので、細かい横線をつけて下さい。」と頼んだ😌
作業員さんは快く、手直ししてくださった😃
乾くまでの数日、わくわくしていた😃

回顧52【家族写真】

何軒かの写真館を訪ね、母のリクライニング♿でも、難なく入れるところを見つけ、事情を話すと、快く引き受けて下さった✨体調が急変したら来れないこと、撮影に応じて動けないことなど、了承頂き、一週間後に予約出来た💡
それから母に似合う和服を選ぶ😆👘
元気な時ははっきりした色を好んでいたが、今の柔らかい表情には淡い色も似合うなあ😊「ねえ、どれがいい?」と寡黙な(植物状態)母に見せながら、悩むことを楽しんでいた👘😌

ショートステイでの面会時には、肌のお手入れとメイクの練習💄💋✨不快を表現する母の左手はジッとしていて、気持ち良さそうな母😊

こんな時間がありがたいと実感😌
病気になってしまったけど、温かい時間😌

施設では、体調管理のためにもメイクは控えていたが、久しぶりにおめかしした母は今にも歩き出しそうだ👸
準備期間、ずーーっとわくわくしていた💓

撮影当日、赤い振袖👘の娘と、クリーム色のつけ下げ👘の母と、うぐいす色のつけ下げ👘の私。それぞれが一番似合う和服👘で写真におさまった📷母が娘の手をしっかり握った素晴らしい写真を残してもらえた✨

生きてくれて、ありがとう👵

介護の日

明日、大分市で『遷延性意識障害者家族の会。九州つくし』主催の講演会開催と新聞で知った。
もっと早く知っていたら、仕事を休んででも参加してみたかった。
今年の春まで強く生きてくれた母が、遷延性意識障害者だったが、このような会があることは全く知らなかった。
毎日、母のリズムに合わせるのが楽しくて、私の社会的視野が狭まっていたのだろう。

家族会って、何をするんだろう。

同じ境遇や、似たような状況を知ったり語ったりで、視野が広がって、もっと知恵がついたかもしれない。
もっと勇気をもらえたのかもしれない。

介護の時間がなくなり、自分だけの時間がたっぷり持てる今だから、参加してみたかった。

回顧51【行動範囲】

スロープ車輛での、ブレーキのかけ方や道路の凸凹の避け方など、少しずつ慣れて、母と私の行動範囲が広がった🚙
日中にはショートステイから自宅に連れ帰り、庭先でご近所さんと接したり、縁側で日向ぼっこしながらアルバムを開いたり📕
夕方、施設へ送り届ける時は、以前のような切なさじゃなく、「また、迎えにくるね😃」と固い約束が出来るようになった😊

N病院への口腔リハビリの相談。家族送迎可能ならと、毎週火曜日に調整してもらえた😃
5ヶ月お世話になったSTの先生に再会し、嬉しいことが続いた。顔馴染みのスタッフさんが「どうやって連れてきたの?」「元気でよかった。また、一緒に頑張ろうね。」と気さくに声をかけて下さる。母にとっての色んな刺激、コミュニケーションがあって本当に有難い✨

さあ次は、成人式を控えた娘の振袖を誂えて、母と娘と私、三人の晴れ着姿の写真撮影が目標だ👘