目標と達成の積み重ね。

遷延性意識障害の母と過ごした7年を振り返り、今だから綴れるお話です😊

回顧19

9月半ば、三回目のカンファレンス。
在宅介護の意志を強く伝え、それに基づいた具体的な準備が始まる💪
先ず、在宅介護可能な家屋敷地か、改修の必要性を確認するための家庭訪問日程が決まった😃
そして、現在の、経鼻経管栄養を胃ろう管理に移行することも決まっていたが、それについては造設手術を、ここの主治医ではなく、急性期主治医のT先生にお願いしたい、と申し出た😌

ここの病院でなら一時的に病棟を移り、手術した後には胃ろう管理とリハビリを平行して継続出来ると説明もあったが、母の身体に傷をつけてしまうことを選んだ私は、せめて、真から応援してくれる先生に頼りたかった😌
ソーシャルワーカーさんが、打診してみると協力的な姿勢だったのが嬉しかった☺

少しずつ、少しずつ前に進んできたが、最初を振り返ると、希望が叶ってきている✨
具体的になったことで、自分の仕事や費用の現実と向き合ってみると厳しい面も沢山ある😅

しかし、母が大好きな🏠に帰るため、可愛らしい母と🏠で過ごすため、そして、家族みんなの喜ぶ笑顔のためなら何も負担ではない😄✌

PEG

数日前から依頼していた二輪の修理。
やっと今日、業者が取りにきてくれた😃

その方は、「親父が他界したばかりで、法要続きだった。やっと仕事に集中出来るまでになった。」と言われた。
胃ろう造設後、市内の長期療養病院で五年間寝たきりだったそう。お父様が食べられなくなってからは、胃ろう=病院で寝たきりの選択しかなかったらしい。病院から言われるままに、五年も生かしてしまったが、やっと親父も楽になれたと思う、とのこと。寝たきりは家族も望んでいなかったが、胃ろう受け入れ可能な施設等の情報も全く知らなかったらしい。

私の母も胃ろう生活だったが、色んな経験が出来、生きる手段として、やってよかったと信じている😊

このブログ投稿が、どこかで悩んでいる人、迷っている人の情報として役立てばいいなと強く思った😊

回顧18

隣のベッドの方は脊柱湾狭窄症でリハビリ入院の60代女性で頭脳明晰だった。私が不在時の母様子を教えてくれるようになり、仲良くなった。その電動♿を上手に操るHさんと玄関先まで一緒に散歩も出来た😃Hさんも外の風に当たりたかったと晴れやかな表情。他人を介してでも、離床や外出は本当に生きる希望だと実感する。

斜め向かいのベッドの方は、脳出血で身体麻痺と認知症状のある高齢の女性だ。関東で仕事している息子さんが介護休暇を取得し、その間の回復具合で職場復帰を目指しているそうで、とても熱心に介抱されていた。

たまたま同室になった方々だけど、色んな生き方を直に聞けてとても救われた気分になれた。
そして、不安を持ちながらもみんなの笑顔が増えていった😌😊😆😊😄😂😃

回顧17

ある日、甘いはずの棒付きキャンディぶどう味を舌で押し出すようになった👀あれ⁉と口の中を覗くと口内炎が出来ていた。そっか、しみて痛いんだね、当たって痛いんだねと声をかけ、口腔ケアだけの数日間。口内炎が消えて、ガーゼで巻いたマンゴーを口に入れてあげた日は、嬉しそうに舌を動かして果汁を吸ってくれた✨
ゴクッと咽が鳴る。嬉しい✨

ある日曜日、いつもより遅い午後に病院へ行くと、駐車場には見慣れたリクライニング♿👀
母と、担当看護師さんがお散歩してた。「とてもいい天気だからお散歩したそうでした(笑)」と看護師さんの頼りがいある声✨
母のお散歩を客観的に見れて嬉しい✨

ある日の午後、母の爪を切る。毎年あかぎれで血が滲んでいた母の指先が今はツルツル✴
パチンパチンと響く爪切りの音。生きてる音。尊くて嬉しい✨

ずーっとずーっと私が切ってあげるよと声をかけたのを思い出す✨

回顧16

母が赤ちゃんのようになって90日の頃はとても反応がよかった✨右手両足の麻痺は大きいままだったが、左手にグミボールを持たせると口に運ぶ仕草や人の動きを目で追う追視が頻繁になり、面会に来てくれた友人に「ずいぶん元気になったね😄よく頑張ってるのがわかるよ☺」と誉められ(笑)和気あいあいとした雰囲気😊

暫く前に面会に来てくれた親戚は「こんなに変わり果てて…」と涙ぐんでしまったので私がなだめる気まずさがあったから、友人の面会は心が軽くなった✨私でさえ、そう感じるのだから、母本人も笑顔に囲まれた方が嬉しい筈だ💡

担当看護師の頼もしい声かけにキョロキョロする母をリクライニング♿に移してもらい、玄関先の日陰までお散歩😊真っ青な空に飛行機がある。真っ直ぐな飛行機雲も伸びて、爽やかな秋風も感じる。ああ、生きている。

無事にリハビリ期限を過ごし、様々な準備をこなして、家でお正月を迎えるのを新しい目標に加え、母と約束げんまんの日🍇

回顧15

2回目カンファレンスの数日後には、オムツ交換と更衣にも関わらせてもらえた😌それまでは
流れ作業的にヘルパーさんがカーテンを閉め、私は廊下で待っていながら、耳を澄まして朗らかな声かけや衣擦れの音で様子を探っていたが、顔馴染みになったヘルパーさん二人組が「自己流も混じってるけど少しでも役に立つなら一緒にやってみましょう💪」と声をかけて下さった。初めは手際よいお二人のケアを見せてもらい、次から実践✨袖の通し方やオムツの当て方など、もたつくと母がきついのですぐヘルパーさんが代わってくれる、ちょうどいい距離感で教わった😊母に何かをしてあげれること、支援してもらえることがとても嬉しく、やりがいを感じた✨

先に慣れていた口腔ケアでも、ガーゼに包んだ桃や葡萄を舌にのせてあげ、果汁を吸ってもらうことに楽しみを覚えていた😃
赤ちゃんがミルクを飲むような舌の動きに癒される時間は母に対しての感謝と尊敬の眼差しを向けるばかりだった😊

病気は辛いが、病気のおかげで得た時間がどんどん増えていくのを実感した頃だ😌

回顧14

転院して8週目の頃、母も私も環境に慣れ、母の左手は以前より活発になっていた。
経鼻経管栄養のチューブに違和感を感じ始めたのか、時々大きく顔の前で左手を振り、チューブが抜けそうだった😱
そんな時、私の左手と母の左手を組むと指相撲をしてくれた👍
ガッチリ組んだ手をじーっと見つめ、親指を巧みに上下してくれる。とても愉快な時間😊

玄関先の散歩中、すぐ近くを電車が通った🚃
一時間に一本あるかないかの一輌編成😄
駅が近いせいでガタンゴトンとやわらかい線路の音が心地好く、また、楽しみを見つけた😆

2回目のカンファレンスでは、反応がよくなってきているので、向上を願って今よりも離床をさせてほしい、と申し出た。病院の都合も勿論わかるが、カンファレンスでは遠慮するのがもったいなく、素直に希望を言わせてもらった。

翌日、母の部屋に行くと、対面のベッドに移っていた👀担当ナースが「右側が視野狭窄で左向きの方が多いので窓が見える方に移りました😄今まで壁ばっかりでごめんねー😌」と声をかけてくださり、昼の経管栄養はナースステーション前の大きな窓辺でやってもらえることになった✨多大な協力に感謝して、きっと家に帰れる‼と自信を持った💪